2009年06月30日
シカゴ美術館
ニューヨークのメトロポリタン美術館、
ボストン市にあるボストン美術館とともに
アメリカの三大美術館のひとつですね。
『グランド・ジャット島の日曜日の午後』 (1884〜1886年) ジョルジュ・スーラ
「光きらめくセーヌの川面にボートやヨットが浮かび、家族連れや日傘を手にした婦人が
緑豊かな川岸を行きかう…」
パリの北西約3kmに位置するグランド・ジャット島は、水と緑の"理想郷"!その光景を、
縦2m、横3mの大キャンヴァスに再現したこの作品は、1886年に開かれた最後の印象
派展をにぎわせたスーラの代表作です。太陽光線を構成する7色のなかの、赤、橙、黄、
緑、青、紫の6つの純色の「点」でキャンヴァスを埋めつくしています。[点描法]
視覚と色彩の理論を学び、線の特質を分析して「絵画の科学」を追求したスーラは、以降
「新印象主義の祖」と呼ばれました。
『二人のサーカスの少女』 (1879) ルノワール
印象派の画家のなかで、ルノワールは明るい色彩と華やかな雰囲気、魅惑的な女性の表現に
個性を発揮した。当時パリで人気を博していたフェルナンド・サーカスの座長の娘を描いた
この作品はその一例。ルノワールはアトリエでモデルを描き、舞台を描き加えた。
『夜ふかしする人々』 (1942) ホッパー
都会の生活を描き続けたホッパーの代表作。ニューヨークのグリニッチ通りに建つダイナー
(1940〜1950年代に流行した簡易食堂)を実際以上に大きく単純化して描かれています。
画家の妻を含めて4人の人物が登場する画面は深夜の静寂が支配し、物思いに耽る彼らの姿
からは、都会の孤独が伝わってくる。当時、普及しはじめたばかりの蛍光灯による照明が、
冷え冷えとした雰囲気をいっそう強調している。
【ミニ知識】 シカゴ美術館(アメリカ)
シカゴ美術館の前身は、1866年、市内ディアボーン通りのアトリエに設立された
「シカゴ・アカデミー・オブ・デザイン」(Chicago Academy of Design)
1879年に「シカゴ・アカデミー・オブ・ファイン・アーツ」(Chicago Academy of Fine Arts)
として再発足した。通常、この1879年をもってシカゴ美術館の設立年としています。
(1882年「シカゴ美術研究所」(The Art Institute of Chicago)と改称)
30万点以上のコレクションを誇りますが、特にスーラやモネ、ルノワールなどの印象派絵画、
ピカソ、ホッパーらの19世紀〜20世紀絵画は世界中の美術ファンを魅了しています。
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2009年06月29日
ボストン美術館
古都ボストンにあるアメリカ屈指の美の館ですね
『われわれは何所から来たのか?
われわれは何者なのか?
われわれは何所へ行くのか?』 (1897) ポール・ゴーギャン
「完成していないといわれるかもしれない−。けれどもこれから先、これ以上のものは決してかけないだろう」
縦139cm、横374cm余りの巨大な横長のキャンヴァスには、
人間の存在そのものを問いかける"楽園図"が描かれています。
自ら死を決意した画家がタヒチ島で描いた"遺言状"です。
『ブージヴァルのダンス』 (1882〜83年) ルノワール
1870年代から、ルノワールは余暇を過ごす都会の人々を多く描きました。
男女のダンスは恋愛の心理を暗示するテーマとして長い歴史を持ちますが、
ルノワールはパリ近郊の行楽地ブージヴァルに場面を設定して描きました。
女性のモデルは、後に画家になりユトリロの母ともなるシュザンヌ・ヴァラドン
です。
『日本娘』 (1876) モネ
扇を持ち、金糸の刺繍のある着物を着た西洋女性の背景の壁には、団扇がかかる。
1876年の第2回印象派展に出品された作品のうち、この作品だけが異例の高値で売れた。
当時の日本趣味が流行していたことがうかがわれます。なおモデルはモネの妻カミーユです。
【ミニ知識】
1876年、アメリカ独立100周年の記念すべき日に開館。所蔵品は50万点を数える。
「古代」「ヨーロッパ」「アジア、オセアニア、アフリカ」「アメリカ」、
「現代」「版画、素描、写真」「染織、衣装」および「楽器」の8部門に分かれ、
特に、エジプト美術、フランス印象派絵画などが充実している。
ボストン美術館は、仏画、絵巻物、浮世絵、刀剣など日本美術の優品を多数所蔵し、
日本との関係が深いことでも知られる。20世紀の初めには、岡倉天心が在職しており、
敷地内には彼の名を冠した小さな日本庭園「天心園」が設けられています。
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2009年06月28日
ロンドン・ナショナルギャラリー
トラファルガー広場に面した名画が集う英国最大の美術館ですね。
『アルノルフィニ夫妻』 (1434) ヤン・ファン・エイク
「まるで生きているようだ。これは人間が描いた絵なのか」
ヤン・ファン・エイクは、中世後期ゴシック美術に現れはじめた写実主義を追求し、
油絵の具を自由自在にあやつることによってフランドル絵画の黄金期を創出した
画家です。新婚のイタリア商人夫妻を描いたこの絵画は、シャンデリアや鏡の光沢、
新婦の緑の衣服と紅いベッドの鮮やかな対比、窓や壁や床の自然のままの材質感、
ぼかしを効果的に使った立体感など、画家の鋭い洞察力が光る作品です。
『岩窟の聖母』 (1508年頃) レオナルド・ダ・ヴィンチ
世界の創成期を思わせる風景描写は、"万能の天才"と呼ばれた
レオナルドの自然への深い関心の表れで、それはまた、万物を
創造した神の存在を暗示します。聖母の表情は『モナ・リザ』
の微笑を思い出させます。
(参考)
『岩窟の聖母』レオナルド・ダ・ヴィンチは、
ルーヴル博物館にも作品が展示されています。
いくかの部分が微妙に違っています。
【ミニ知識】 ロンドン・ナショナルギャラリー(イギリス)
1824年、J.J.アンガースタインの遺贈したコレクションをもとに開設。
当初はアンガースタインの邸宅を改装してギャラリーとしていたが、
1838年、現在のトラファルガー広場に移転した。
所蔵作品の点数ではルーヴル美術館、メトロポリタン美術館などの
巨大コレクションに譲るが、作品の質の高さでは他の大美術館に
ひけを取らない。
同じロンドンのテート・ブリテン(テート・ギャラリーのイギリス美術専門館)が
イギリス絵画を主としているのに対し、ナショナルギャラリーはイタリアなどの
外国絵画のコレクションが中心で、とくにイタリア・ルネサンス、オランダ絵画
などが充実しています。
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2009年06月27日
ワシントン・ナショナルギャラリー
ポトマック河畔に建つアメリカ屈指の美の殿堂ですね
『読書する娘』 (1776年頃) フラゴナール
フランスのロココ美術に最後の輝きをもたらしたフラゴナール。
40歳を過ぎて円熟味を増したころに描いたこの絵のモデルは、
義妹のマルグリット・ジェラールともいわれる。豊かな色彩と
素早く大きなタッチが、読書に熱中する少女を生き生きと再現
している。
『散歩、日傘の女』 (1875) モネ
屋外の人物像は、モネが1860年代から取り組んだテーマ。
見上げるような、視点が最初の妻カミーユと息子ジャンの姿を
逆光のなかに浮かび上がらせている。軽快なタッチからは風の
そよぐ音までもが聞こえてくるようです。
(参考)『日傘の女』(1886) モネ オルセー美術館
【ブログ】ついてるレオさん"Happy Life"
オルセー美術館 (6 15 2009)
モネは、11年後にもう1枚の『日傘の女』を描いています。
【ミニ知識】 ワシントン・ナショナルギャラリー(アメリカ)
ワシントンD.C.にある美術館。1937年、銀行家アンドリュー・メロンが、
美術館設立のための基金と、自身の美術コレクションを連邦政府に寄贈
したことに始まる。1941年に大理石造の美術館が完成しました。
年間約500万人の美術ファンが訪れています。
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2009年06月26日
リヨン美術館
フランスの古都リヨンに立つ美の殿堂ですね。
『カフェ・コンセール"アンバサドゥール"』(1876〜77年) エドガー・ドガ
大きな飾りのついた流行の帽子をかぶった貴婦人。その前のオーケストラ席。
そして、華やかな舞台の上で、身を乗り出して熱唱する歌手・・・。一等地、
シャンゼリゼ地区にある日記のカフェ・コンセールの一夜、流行の先端をゆく
社交場を、パリに生れ育った生粋のパリジャンの画家ドガが描いています。
『ギターを弾く女』 (1897) ルノワール
たっぷりとした女性の衣服が豊かな量感となって、モデルにまるで女神のような
威厳を与えています。赤と緑、黄と白の色彩の対照が、華やかさと同時に生命感
を生み出しています
【ミニ知識】 リヨン美術館 (リヨン フランス)
フランス中東部、国内第3の都市リヨンにあり、
17世紀の修道院を利用して1803年に設立されました。
古代美術から近・現代美術まであらゆる美が集められています。
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2009年06月25日
クレラー=ミュラー美術館
オランダの森にあり、野生動物が行きかい小鳥がさえずる国立公園内にある美術館です。
『夜のカフェテラス』 (1888) ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
「夜は昼よりも、もっと生き生きとして、もっと豊かに彩られている」(ゴッホ)
1888年9月、パリに住む弟テオに歓喜の手紙を送った画家ゴッホ。
手元が明るくなるよう帽子のつばにロウソクを立て、アルルのフォーラム広場の夜景を描いた。
満点の星をたたえた群青の夜空のもと、ガス灯に照らしだされたカフェテラスが黄金色に輝く。
画家が「ふたつの愛人」と呼んだ「黄色」と「青色」の"補色"を用いて、闇夜に織りなす光の饗宴、
"ゴッホがゴッホになり得た"記念碑的名画です。
『アルルのはね橋』 (1888) ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
ゴッホがアルルに来て間もない、3月に描かれた一枚。運河にかかるはね橋は、画家ゴッホが
南フランスで見いだしたモチーフのひとつで、生まれた土地オランダへの哀愁も感じさせます
太陽の下、明快な輪郭線で浮かび上がらせるはね橋や青い空とそれに映し出す水は、日本の
浮世絵の色彩と表現に憧れたゴッホにとって格好の題材だった。
野外のようす
(参考)
【ブログ】ついてるレオさん"Happy Life"
ゴッホ美術館 (6 23 2009)
【ミニ知識】 クレラー=ミュラー美術館 (オッテロー オランダ)
自然公園と文化公園からなるホーヘ・フェルーウェ国立公園内にある。
1938年にミューラー夫妻が開設、ヴィンセント・ファン・ゴッホに関するコレクションで知られ、
その絵画87点におよぶ規模はアムステルダムのゴッホ美術館とならび、
「2大ゴッホ美術館」と称さています。
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2009年06月24日
ニューヨーク近代美術館
通称"MoMA" (モマ) 約10万点もの近現代美術のコレクションを誇りますね
『星月夜』 (1889) ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
「不安げに渦巻く夜空、異様に膨らんでいく月や星々、糸杉は燃え上がるように
ゆらゆらと揺らめく・・・」後期印象派の画家ゴッホが南仏サンレミの精神病院で
描いた代表作です。この1年で150点余りもの作品を残したゴッホにとって
まさに描くことだけが"生"をつなぎ止めておく手段であった。
(参考)ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 作品
【ブログ】ついてるレオさん"Happy Life"
ゴッホ美術館 (6 23 2009)
『誕生日』 (1915) シャガール
花束を手に、ぱっちりと眼を開いて、前に大きく踏み出した女性。彼女と唇を重ね
ようとしている男性は空中を漂い、軟体動物のように組を女性の方に長く伸ばして
いる。この年、長年の恋を実らせて結婚したシャガールの満ち足りた幸福な気持ちが
現実にはありえない大胆な人物の造形やポーズを生み出しています。
(参考)シャガール作品
【ブログ】ついてるレオさん"Happy Life"
シャガール美術館 (6 17 2009)
【ミニ知識】ニューヨーク美術館 (アメリカ)
1929年、わずか84点の収蔵品で正式に開館。
マンハッタンのミッドタウン53丁目に位置し、1920年代から「ザ・モダン」と呼ばれた
モダンアートの殿堂。20世紀以降の現代美術の発展と普及に多大な貢献をしてきました。
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2009年06月23日
ゴッホ美術館
"炎の画家"ゴッホの代表作を集めている美術館ですね
『ゴッホの寝室』 (1888年) ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
フランス南部 アルルで借りた「黄色い家」のゴッホの寝室。
ゴーギャンが来る直前の10月に描かれた。
飾り気のない室内に、椅子や枕がふたつずつ描かれ、
ゴーギャンを待つ画家の心を反映しています。
『荒れ模様の空の麦畑』 (1890年) ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
ゴッホはサンレミの精神病院を出て、パリ北西の村オーヴェル・シュル・オワーズで
37年の生涯の最後の時間を過ごした。この作品は晩年の大作のひとつ。
母親に「この麦畑の大作に完全に没頭している」と書き送った。
広々とした空や果てしなく続く畑には、明るい色彩にもかかわらず、緊迫感が漂っている。
『荒れ模様の空にカラスの群れ飛ぶ麦畑』 (1890年) ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
「今にも嵐が来そうな空の下に広がる麦畑を描いたもので、僕は思いきって悲しみや極度の孤独を
表現しようとした」(ゴッホ)
次第に垂れこめる黒々とした雲。地平線から湧き出るような、死を予感させる鳥。
風に大きく揺れる麦の穂、うねる道…この絵は、1890年7月、37歳で自ら命を絶った
"炎の画家"ゴッホの遺作となりました。
【ミニ知識】ゴッホ美術館 (アムステルダム オランダ)
1973年開館。設計はオランダの建築家、家具デザイナー ヘンリー・リートフェルト。
ゴッホ作品の他、同時代のポール・ゴーギャン、ロートレックらの作品、
ゴッホが傾倒していた日本の浮世絵、盛んに模写をしたミレーなども展示されています。
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2009年06月19日
ウフィツィ美術館
フィレンツェにあるルネサンスの名画で有名な美術館ですね
『ヴィーナスの誕生』 (1485年頃) サンドロ・ボッティチェリ
巨大な帆立て貝の上に危うげに立つ裸身のヴィーナス。
金髪を風になびかせ、夢見るような眼差しを投げかける。
ボッティチェリの傑作『ヴィーナスの誕生』は、
ルネサンスの美の神髄です。
【ミニ知識】ルネサンス
14世紀、イタリアに興った動き。暗黒時代とも呼ばれた神と教会の威光が
絶対の価値とされた中世。その呪縛から解放され、人間の精神そのものに
光を当てたルネサンスは、新しい文化・芸術運動としてヨーロッパ全土に広まりました。
『春』 (1482年頃) サンドロ・ボッティチェリ
画面中央に立つヴィーナスとその庭園を描いた大作。右手前でほほ笑むのは、
古代ローマの花の女神フローラ。画面を埋めつくす200種以上もの花々の
多くは、愛や結婚に関わる花言葉をもっている。「豪華王」と呼ばれた
メディチ家の当主ロレンツォの又従弟、通称ロレンツィーノの結婚を祝した
作品ともいわれています。
フィレンツェ
【ミニ知識】ウフィツィ美術館 (イタリア)
1591年より部分的に公開されている近代的美術館。メディチ家歴代の美術コレクションを
収蔵する美術館であり、イタリアルネサンス絵画の宝庫である。展示物は2,500点にのぼり、
古代ギリシア、古代ローマ時代の彫刻から、ボッティチェッリ、レオナルド、ミケランジェロ、
ラファエロらイタリアルネサンスの巨匠の絵画を中心に、それ以前のゴシック時代、
以後のバロック、ロココなどの絵画が系統的に展示されている。
1982年、「フィレンチェ歴史地区」の一部として世界遺産に登録されました。
(参考)
【ブログ】ついてるレオさん"Happy Life"
世界遺産 ヨーロッパ編 38 フィレンツェ歴史地区(イタリア) (3 22 2007)
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2009年06月18日
プラド美術館
スペイン マドリッドにある美の殿堂ですね
『ラス・メニーナス(女官たち)』 (1656) ディエゴ・ベラスケス
17世紀、スペイン王国の都マドリッドに建つ王宮の一室。窓からぼんやり
光が差し込む室内に、5歳のマルガリータ王女やその女官、侍従たちなど
王室ゆかりの人々が一堂に会している。作者ベラスケスも絵筆とパレット
を持って、左隅に向かっている。まるで絵画のアトリエに迷い込んでしま
ったような絵です。宮廷画家ベラスケスは、この作品を晩年の57歳の時に
描いた。画家は生涯で120点の油彩画を残したが、この絵は歴代スペイン
王室の財産目録で、つねに最高額の絵として査定されている。
『マルガリータ王女』 (1660年頃) ディエゴ・ベラスケス
マルガリータは、フェリペ4世とオーストリア・ハプスブルク家出身の
マリアーナ(マリア・アンナ)王妃との間に1651年に誕生した。画家が
描いた何枚もの肖像画は、ウィーンの母の実家に送られて成長の様子を
伝えると同時に、見合いに用いられた。この作品はスペイン最大の画家
ベラスケスの最後の作品で、途中で他界した後を継いで弟子が完成させた。
【ミニ知識】プラド美術館
1819年に王立美術館として、開館。1868年の革命後「プラド美術館」と改称。
15世紀以来の歴代スペイン王家のコレクション、ベラスケス、ゴヤなどの
スペイン絵画などが展示されています。
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2009年06月17日
シャガール美術館
南フランス、ニースにあります
『雅歌V』 (1960) マルク・シャガール
「ソロモンの雅歌(がか)」は『旧約聖書』に収められたイスラエル(ユダヤ)人の
愛の賛歌です。放浪生活を余儀なくされたロシア系ユダヤ人の画家シャガールは、
70歳を過ぎた晩年、南フランスのヴァンスで情熱的な赤色を基調に、5枚の
「ソロモンの雅歌」を描きました。なかでも、この作品は、愛する男女が今まさに
結ばれようとする劇的な場面を描いた神聖な雰囲気と官能性に富む作品です。
『楽園』 (1861) マルク・シャガール
深海を思わせる青色の世界から、様々な形象が色鮮やかに浮かんでいます。シャガールは
この幻想的な世界に「創世記」に記されたエデンの園を描いた。中央右には、神の創造した
人間である「アダム」と「イヴ」が誘惑者の蛇とともに描かれ、その上に赤い実を茂らせる
「知恵の木」が描かれています。
『人間の創造』 (1956〜1958頃) マルク・シャガール
シャガールの「聖書のメッセージ」の連作のひとつ。神が人間を創造する場面に、
キリストなど様々なモチーフが重ねられている。
ニース
【ミニ知識】シャガール美術館 (ニース フランス)
1973年、画家の86歳の誕生日にマルク・シャガール美術館が開館しました。
帝政ロシア領ベラルーシ生まれのユダヤ人で、"色彩の魔術師"、別名
生涯妻ベラを敬愛したことから「愛の画家」と呼ばれています。
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2009年06月16日
マルモッタン美術館
パリ市内、ブローニュの森の近くにありますね
『印象・日の出』 (1873) クロード・モネ
30代に入ったばかりの画家モネは貧窮のどん底にあった。サロン(官展)には落選。
だがモネは"新しい絵"を産み出す意欲に燃えていた。パリ郊外、フォンテーヌブローの森や
セーヌ河畔で光を追い求めていたモネは、1873年、幼少期を過ごしたノルマンディ地方の港町
ル・アーヴルを久しぶりに訪れる。そして港の美しい夜明けを見て、その感動を『印象・日の出』
として描く。この絵は近代絵画史上、偉大な足跡"印象派"を宣言した運命の1枚となりました。
『睡蓮』 (1917頃) クロード・モネ
大きな水の帯を挟んでふたつの睡蓮の群が親密な会話を交わすように配置されている。
1890年、50歳を迎えようとしたモネは、パリ郊外に土地を購入してここで庭造りに熱中する。
1893年頃に造園を始め近くを流れるエプト川から水を引いて池を造り、日本風の太鼓橋を架け、
睡蓮を植えた。この場所は86歳で亡くなるまで200点余りの「睡蓮の池」の舞台となった。
[モネの庭園]
『舞踏会で』 (1875年) ベルト・モリゾ
第2回印象派展に出品された作品。人体の表現には、モネやルノワールのしなやかさとは違って
マネに通じる堅牢さがあります。モリゾはコローに学んだあとマネと親しくなり、
対象を明確に描写する手法を学びました。一方、背景の花や白いドレスの様々な光が反映する表現は、
他の印象派の画家たちの影響がみられます。
【ミニ知識】マルモッタン美術館 (フランス)
美術館の基礎をつくったのは美術史家・収集家のポール・マルモッタン(1856-1932)
美術館の建物はポールの父が1882年に購入し邸宅に改造したものです。
フランス語の館名は「Musée Marmottan Monet」(マルモッタン・モネ美術館)
その名の通り、世界最大級のモネのコレクションを誇ります。
特に、印象派という流派名の由来となったモネの代表作『印象・日の出』を所蔵することで名高い。
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2009年06月15日
オルセー美術館
印象派の画家の作品が多く展示されていますね
『日傘の女』 (1886) クロード・モネ
モネがこの作品を描いたのは46歳の時。
モデルは、当時、モネと家族同然に暮していたオシュデ夫人アリスの娘シュザンヌ。
じつは、11年前、30代のモネはほとんど同じ構図で"日傘の女"を描いている。その
モデルは、モネの最愛の妻カミーユ。"売れない画家"モネを支え、極貧の日々を
過ごしてきたカミーユは、その絵の完成から4年後、病に倒れ、突然この世を去る。
モネが妻への追暮を込めて描いたとも言われる作品は、画家自らが人生をかけて
追求した印象派画家にとっても、記念碑的な作品となりました。
『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』 (1876) ルノワール
パリの歓楽街モンマルトルにあったダンスホール、ムーラン・ド・ラ・ギャレットで
踊る人々を描いた作品。当時35歳のルノワールは、この近くに住んでいて、制作のたびに
キャンヴァスをこの場所に運んだという。印象派の画家特有の光への関心は、衣服や
グラスの描写に顕著にあらわれています。
『舞台の踊り子』 (1876〜77) ドガ
ドガは1872年頃、オペラ座のバレエに関心を持ち、楽屋や稽古場への出入りを始める。
以来、彼は踊り子をひとり、または群衆で多くの作品に登場させました。パステルを
用いたこの作品は、明るさのなかにも曇りを帯びた、ドガ独特の色彩表現が見られます。
【ミニ知識】オルセー美術館 (フランス)
設計者は、ヴィクトール・ラルー。
1986年開館。建物はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、
オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテル。
そのため、美術館の中央ホールは地下ホームの吹き抜け構造を
そのまま活用していて建物内部には鉄道駅であった面影が随所に残る。
現在ではパリの観光名所としてすっかり定着した感があります。
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2009年06月14日
エルミタージュ美術館
ロシア、サンクトペテルブルグにある国立美術館ですね
『ダンス』 (1910) アンリ・マティス
20世紀の色彩の魔術師マティス
「私はただ、自分の感情を色に置き換えようと努力しただけだ」マティス
近代主義をリードした"フォーヴィスム(野獣派)"の先達
この作品はなめらかな曲線が画面を構成し、3色が平たく塗り込まれていますね。
『ブノワの聖母』 (1478頃) レオナルド・ダ・ヴィンチ
若き「万能の天才」が描いた愛情溢れる永遠の聖母子像の原点
スミレの花に関心を示す幼子と、あどけない表情を浮かべる若い母を描いていますね。
『ユディト』 (1500〜05頃) ジョルジョーネ
遠くまで広がる景色を背景に、うつむいた女性がたたずむ。
この女性は、巧みな策略で敵将の首を取ってユダヤ民族を救った、
救国の女性ユディトを描いています。
【ミニ知識】エルミタージュ美術館 (ロシア)
ロシアが誇る女帝エカテリーナの収蔵品の収集を始めたのが起源。
「エルミタージュ」はフランス語で「隠れ家」を意味します。
1917年に一般にも開館されました。
1990年に「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」の名で
世界遺産に登録されています。
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2009年06月13日
メトロポリタン美術館
通称"MET"(メット) ニューヨークにある世界最大級の美術館ですね
『シャルパンティエ夫人と子供たち』 オーギュスト・ルノアール (1878)
「ルノアールは成功したようだ。よかった。貧乏ってやつはつらいからね……」画家ピサロ
20代後半からの印象派時代はほとんど評価されなかった画家ルノアールであったが、
34歳のある日、パリ有数の出版社主シャルパンティエとその夫人に出会う。
著名人が集う夫人のサロンは当時、パリでも第一級の社交場であった。
ルノアールが官展出品のため、渾身の力をこめて描いた絵
"画家の人生を変えた一枚の絵"です。
『サンタドレスのテラス』 モネ (1867)
印象派の旗手モネが、家族とともに訪れた北フランスの保養地サンタドレスで描いた作品です。
『水差しをもつ若い女』 フェルメール (1660年頃)
レンブラントと並び、17世紀のオランダを代表する画家フェルメールの代表作。
「窓から差し込む光」はフェルメールの典型的なテーマですね。
【ミニ知識】メトロポリタン美術館 (アメリカ合衆国)
1870年開館。基金による購入や、さまざまなコレクターからの寄贈によって
現在では絵画・彫刻・写真・工芸品・楽器など、古今東西、あらゆる
時代、地域、文明、技法による作品を収集している。
300万点の美術品を所蔵する名実ともに世界一の美術館のひとつです。
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2009年06月12日
ルーヴル美術館
セーヌ川の右岸に位置する世界最大級の美術館ですね
『モナ・リザ』 レオナルド・ダ・ヴィンチ (1503-06)
ルネサンスに華やぐイタリアが生んだ、もっとも偉大な画家レオナルド・ダ・ヴィンチが
描いたこの世でもっとも有名な絵画!一方で、謎の多い一枚ですね!
『ナポレオンの戴冠』 ジャック=ルイ・ダヴィッド (1805-07)
典礼服に身を包んだナポレオンが、妃ジョゼフィーヌに冠を授けようとする
歴史的瞬間を描いた大作です。場所はパリのノートルダム寺院です。
『民衆を導く自由の女神』 ウジェーヌ・ドラクロア (1830)
ロマン派を代表する画家ドラクロア。フランスで七月革命が勃発した1830年に、この作品を描いた。
画家は、三色旗を掲げた「自由の女神」が民衆を率いて進むという描写で"革命"を大胆に表現して
います。
夜景
【ミニ知識】ルーヴル美術館 (フランス)
創立者はナポレオンの外交官であったヴィヴァン・ドゥノン
ルーヴル美術館は、ルーヴル宮殿の大部分を占めている。
建物は、1190年にフィリップ2世(フィリップ・オーギュスト)が パリ防衛のための城砦を
築いたのに始まる。 ルネサンス様式の宮殿に改築された16世紀のフランソワ1世の時代から
ナポレオン3世の時代まで実に3世紀以上を費やして完成した壮大な建物で
16世紀以降、近代までのフランス建築ならびに装飾の粋を集めるものである。
フランソワ1世以後の歴代王室の収集品を基として、 フランス革命後の
1793年8月10日にフランス共和国により公開された。
「パリのセーヌ河岸」として、1991年に世界遺産(文化遺産)に登録されています。
(参考)【ブログ】ついてるレオさん"Happy Life" 3回シリーズ
世界遺産 ヨーロッパ編 94 パリのセーヌ河岸(1)(フランス) (6 5 2008)
世界遺産 ヨーロッパ編 94 パリのセーヌ河岸(2) (フランス) (6 6 2008)
世界遺産 ヨーロッパ編 94 パリのセーヌ河岸(3) (フランス) (6 7 2008)
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